岡山芸術創造劇場2021.02.05
本稿作成:江原久美子(公益財団法人岡山文化芸術創造 劇場開館準備室)
テーマ:――表町の祭り――
日程:2021年1月27日(水)18:30―19:30
会場:岡山市男女共同参画社会推進センター「さんかく岡山」会議室
参加者数: 約40名
「いどばた会議」も第4回目。今回のテーマは「表町の祭り」です。
地域にとっての「祭り」の大切さ、劇場と「祭り」の共通点、そして祭りが町や人々とともに変化していくことを改めて感じる機会となりました。
毎年秋のお祭りのとき、岡山の各町内会から出てそれぞれの氏神様にお参りするだんじり。近年では表町エリアのだんじりが一堂に集まる「備前岡山だんじり祭り」も行われています。
(2020年10月9日、備前岡山だんじり祭り前祭)
一方、歴史上、「劇場」と「お祭り」は意外と深い関係があるようです。今回は表町の祭りについてお聞きしてみました。
(提供:アサノカメラ)
これは昭和27年(1952年)の表町、栄町商店街のお祭りの様子です。上の写真の後ろの方に見えるのは鐘の形のだんじり? なぜ男の子と大人たちはお坊さんの扮装をしているのでしょうか?
今回のいどばた会議に参加していた栄町商店街の理事の方によると、
「栄町にはかつて鐘撞堂があったが、空襲で焼けてしまった。このだんじりは鐘撞堂の鐘を模したもの」とのこと。
そしていどばた会議の後に教えていただいたことですが、
「みんながお坊さんの扮装をしているのは、鐘が重要なモチーフである「道成寺」の物語に見立て、登場人物の僧・安珍を模しているからだろう」(岡山民俗学会 田中豊氏)とのこと。
「道成寺」(安珍清姫の伝説)といえば、能や歌舞伎で有名な演目。人々の生活の中に、物語のモチーフが浸透していたのですね。
岡山の秋のお祭りは、各町内会からだんじりが出て、それぞれの氏神様にお参りします。
しかし江戸時代、それとは別のお祭りが岡山にはありました。
江戸時代、現在の中区東山に徳川家康を祭神とする「東照宮」が造営され、岡山藩主催で毎年「東照宮御祭礼御行列」が行われていました。
その様子を詳細に描いた絵巻が林原美術館に伝わっており、今回はその画像をお借りして、いどばた会議で見ていきました。
「東照宮御祭礼御行列」では、家臣と町方を合わせて最盛期には約1450人が、お神輿、笠鉾などの行列をつくって東照宮から御旅所(おたびしょ。現在の北区兵団)まで往復していました。表町の各町は、だんじりなどを作って出すとともに、祭りの当日は行列の通り道として大変にぎわい、各店先には見物席が出るほどでした
林原美術館に伝わる絵巻は行列の細部まで描かれていて研究が進んでいるのですが、私が特に印象的だったのはこの場面です。
みんなめちゃくちゃ楽しそうじゃないですか?
岡山藩が主催する行事で、殿様から命じられたお勤めだったのに、この笑顔。お祭りを楽しむ江戸時代の岡山の人たちの気持ちが伝わってきます。
江戸時代の岡山には、子どもたちのための祭りもありました。同じく林原美術館に伝わる「菖蒲賦物絵」(しょうぶふしものえ)には、菖蒲の節句のにぎやかな祭りの様子が描かれています。
これも田中豊先生の研究ですが、岡山の菖蒲の節句のお祭りでは、曽我物語や北条時頼記(ほうじょうじらいき)、国姓爺合戦(こくせんやかっせん)といった、当時話題になっていた浄瑠璃や歌舞伎・能の物語のシーンが、作り物屋台や子どもたちの扮装として再現され、ちりばめられていました。
(注1)
冒頭で紹介した、昭和27年の栄町のだんじりの鐘に「道成寺」の物語が重ねられていたのは、このような江戸時代からの伝統があったからでしょうか。
岡山でだんじりを引くときに歌われるのが「こちゃえ」(備前太鼓唄)。
「備前岡山西大寺町 大火事に 今屋が火元で五十五軒 コチャエ コチャエ」で始まるこの歌には町ごとの歌詞があり、各町の特徴が織り込まれていたり、自分たちが引くだんじりが他の町のだんじりとすれ違うとき「○○町(自分の町)の子どもたちは(他の町の子どもたちに)負けない」などと歌ったりします。みんなで歌ってだんじりを引くことで自然とわが町への愛着が芽生える、お祭りはそんな機会でもあります。
古くからお祭りでは様々な芸能が催され、「勧進能」(かんじんのう)など大勢が集まって見る仮設の舞台が、後年の常設の劇場になったといわれるなど、劇場と祭りは深い関係にあります。
そして今回ご紹介したように、祭りでは、大人も子どももみんなで力を合わせて物語のシーンをつくっていた・・・祭りそのものが、まるで劇場みたいだなと思いました。
注1 田中豊(2018)「備前岡山城下における子供踟物の展開ー獅子太鼓・段尻・作り物―」『岡山民俗』第239号、岡山民俗学会、pp.66-85
【参考文献】
神原邦男監修(2015)『東照宮御祭礼と岡山城下のひとびと』上・下巻 備前池田藩の伝えた文化遺産を守る会
倉地克直(1996)『近世の民衆と支配思想』柏書房
福原敏夫(1999)「祭礼の練物 岡山東照宮祭礼」『国立歴史民俗博物館研究報告』第77集、国立歴史民俗博物館、pp.141-194
また、岡山民俗学会の田中豊先生には直々にご指導をいただきました。ありがとうございました。
Aさん
自分は埼玉県出身。子どものころは団地に住んでいたので、市でやる大きなお祭りしか参加したことがない。いま自分は岡山で子供会の理事をしている。昨年から新型コロナウイルスのために行事が何もできず、この先どうしたらいいか、町内会で話している。どうなるかわからないが、収束したとしても同じようなことが起こるかもしれないので、人が集まること自体を考えなければならない時期かもかもしれない。ただでさえ人と人のつながりが少なくなっている時期、そうなるとコミュニケーションの場がなくなってしまう。地域のコミュニケーションのために祭りはやりたい。
大きい祭りとは違って、子供にとっては年に何回かの地域のお祭りに地元の友達と行くのが楽しいはず。自分が関わっている子供会のお祭りは、ちょっとした舞台をつくって高校生が管楽器を演奏したり、高齢者施設の方が歌ったり、お店が出たりしている。子どもたちにはチケットを渡して、お菓子と引き換えにして自由に選べたりする、そういうのが楽しい。
Bさん
新しくできる劇場とお祭りを結びつけるのが、いまいちピンとこない。
お祭りにはいろいろある。神社やお寺のお祭りだけじゃない。町とか地域の活性化するイベント的なものをお祭りというかどうか。
我々が小さかった頃の祭りには、食べ物がつきものだった。旬のちらしずしとか。となると、下石井公園でやっているような食のイベントもお祭りと言えるだろう。町の大きさとか住んでいる人、企画意図で、祭りも多様化するだろう。新しい劇場と、地元の祭りは、どう結び付けていくのか?何をするのか?という感じがする。
今まで我々が経験したお祭りの範疇で劇場を結びつけるのではなく、イベント会場としての劇場は可能性があるかもしれない。
Cさん
自分の町内会(岡山市北区)では、祭りと餅つきをやっている。地域の子どもが少なくなって、最近は外孫を呼んできている、が、最近の子どもたちは体力がなくてだんじりを引くのも大変。
行政は何度か祭りに関してイベントをやるが何年かするとやめてしまう。行政はハシゴを外さないでほしい。
Dさん
自分は二十数年前に新西大寺町のマンションに引っ越してきて2人の子どもを育てた。町内会からはお誘いがなく、マンションの住民は町内会に入れないのかなと思っていた。商店街の知り合いから誘われてやっとだんじりを引くことができた。子どもたちはだんじりよりお菓子が楽しみだったが、それでも鉦(かね)を鳴らしてだんじりを引くのは、大人からすると、秋だな、という感じがした。
このエリアに子供が少ないわけではない。中央小学校にも中央中学校にもたくさんの子どもがいるし、このあたりで子育てしている人もたくさんいると実感している。
マンションの住民が町内会に参加しづらいというのは、気楽でよいのかもしれないが、子どもの目線で考えると、コミュニティに入りにくいところがある。とくに商売している人の中にサラリーマンが入るのは遠慮してしまう。
そういう意味では、小学校で行われる地域の祭りのほうが参加できる。蓮昌寺のお祭りも楽しみにしていた。だんじりのあとに、面として地域の子どもたちが集まって楽しんだりお店が出たり、というのがいいのかもしれない。子どもが秋祭りに参加できる年代は短い。参加できる機会があればいいなと思う。
Eさん
Dさんと同じ町内の者です。町内会のなかに商店街があり、町内会の役員が中心となってお祭りをおこなっている。マンションの場合は、マンションの意志で町内会に入らないケース、お誘いしても入っていただけない場合があるようで、住んでいる人の中には入りたい人もいるかもしれないが、町内会が拒絶しているわけではないと思う。
表町の各町でだんじりの引き手が少なくなったのは確か。なので数年前から「備前岡山だんじり祭り」で各町のだんじりを一堂に集めた。
祭りは地域のコミュニティを深めていくには、必要不可欠。
Fさん
マンションの方から話が出たが、土地に住む子はみんな地元の子。マンションも含めてとにかく子供を集めたい。子供は無邪気というが、まさに邪気を払う存在。新しく劇場ができるのを機に、そのパワーを集めたい。行政はいつかハシゴを外すかもしれないが、それまでに自分たちで機運を育て、地域の意味を高めておきたい、
実際、この地域に子どもたちはたくさんいる。大人になって岡山に残るかもしれないし離れるかもしれないが、そのとき岡山のことを思い出す、岡山の力になりたいと思ってもらう、その思いをつくっておきたい。そのためにここに住んでいるすべての子供たちに、ここで育った思い出をガツンと植え付けておきたい。
・それぞれの型、年代によって祭りのとらえ方は違う。祭りに対するアプローチ自体も多様化すべきなんだなと感じた(50代会社員)
・いろいろな関係性を越えて楽しむという祭りの機能を、街を舞台として新たにつくる時代なのかなと思った。(40代会社員)
・昔あった型を続けることができなくなる時代がきたのかなと、話を聞いて思った。祭りやコミュニティの型も時代によって合った型があると思うので、考えていきたい。(40代会社員)
・祭りの良さは、町内のコミュニケーション、集まる機会。
劇場でするなら、どんな地区からでも素人でも市民参加できるミュージカル、舞台、ダンス、食、かな・・?(40代会社員)
・お祭りは長く続けての意味があると思う。町内をこえた祭りを作り上げたら、まとまると思う。(学校、会社にも参加をよびかける)(50代会社員)
・江戸時代から伝統のあるこちゃえを振興させたい。外来の「うらじゃ」にあれだけ力を入れるのなら、伝統のこちゃえの振興にもっと力を入れるべき。(70代自営業)
岡山芸術創造劇場には「魅せる・集う・つくる」というキーワードがあります。劇場は、普段見られない非日常のものを見る、みんなが集まる、自分でもつくるという点で、祭りとの共通点があります。
祭りは、伝統を引き継ぎつつ、町や人々の変化にともない形が変わっていくかもしれませんが、祭りの「魅せる・集う・つくる」という点は変わらないと思います。新しい劇場がそのための一つの拠点になれればと思います。